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『春は馬車に乗って』 横山利一

更新日:6月15日

病床に伏(ふ)している妻とそれを介護する夫。

秋。同じ景色を見ているが、二人の見ているものは違う。妻は松を見ている一方、夫は泉水(せんすい)の中の鈍(のろ)い亀を見ていた。気持ちに波がある妻とは対照的に、夫は強かった。



冬。妻が好きな臓物を彼は探しに行く。鶏の腎臓、家鴨(あひる)の生(いき)胆(ぎも)。彼にはその好物は理解が出来ない




夫は自らの身の不幸を嘆(なげ)く。妻と口論となる。妻の病状が悪化するのにともない高価になっていく治療費を稼ぐための仕事でさえ、その口論の種になる。妻の『檻の中の理論』は間(かん)髪(はつ)をいれず彼を追いかける。



妻の病状は悪化の一途(いっと)を辿(たど)る。その苦悶(くもん)の最中でも妻は夫を罵る。夫の介護が気に入らない妻は再び夫と口論になるが、他の誰でもない、夫に介護をしてもらいたいと漏(も)らす。



夫は薬をもらいに行った先で医者に妻の見込みがないことを聞く。夫は車で帰る道中、妻の顔はもう見たくないと思った。このまま妻の顔を見なければ、いつまでも妻は私の中で生きているのだと思えるのだから。夫は一人で泣いた。










タイトル 夏に鍋をつつき、冬にアイスを頬張る


この作品は、3つの季節の中で二人の心が描かれています。


まずは季節の与えるイメージについて考えてみたいと思います。


 。春は暖かくなり始めます。冬の間に眠っていた生が活発になる季節です。植物の生の匂いに心おどるのもこの季節の特徴です。また、入学式に代表されるように日本ではスタートの象徴でもあります。ですから、春はどこかプラスのイメージを持つ方が多いと思います。


 。木々が青々とし、気温が上がり暑くなる季節です。近年は茹(う)だるような暑さですが、ひと昔前の小説だと、冒険などが描かれやすい季節でもあります。おそらく学生時代、長期の休みが夏にあり自由度の高い時期だと感じてきたからだと思います。太宰治の『ア、秋』では『秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル』とありました。このような見方に感動したおぼえがあります。慧眼(けいがん)。


 。茹(う)だるような暑さの夏が終わり、どこか落ち着いた季節です。私の一番好きな季節です。しかし、冬の準備が少しずつ始まる寂しさを内包(ないほう)する季節でもありますね。活動的な夏を終えてどこか落ち着き、運動以外に興味がわくため「読書の秋」「紅葉の秋」「スポーツの秋」などの言葉もあります。また、収穫の季節ですから「実りの秋」「食欲の秋」とも言われます。


 。植物が冬の支度をし、生命の気配(けはい)が少なくなる閑散(かんさん)とした時期です。人間は寒さのため前かがみになり小さくなります。やはり冬は寂しさを感じる描写が多いように感じます。


 もちろんこれとは逆説的に、例えば春に生き物の煩(わずら)わしさを感じたり、冬に人のぬくもりを感じたりすることも当然あります。普遍の法則ではないので、あくまでイメージとして持っておくと読む楽しみが一つ増えるということです。では本題に移りましょう。



 この作品は3つの季節、秋、冬、春の流れで進んでいきます。その中での夫婦の心境の変化が面白い作品だと思います。

 。冷静な夫と病気になり不安定な状態にいる妻。図にするとこんな感じでしょうか。

象徴的なシーンは始めの部分。二人の見ているものが違います。妻は松を見ていて夫は亀を見ています。同じ方向を向いているのに見ているものが違う。ここにすれ違いを感じることが出来ます。


 。妻は死を少しずつ覚悟し落ち着いていきます。一方、夫は妻の死を肌で感じ動揺していきます。医者に告げられたシーンなんかは象徴的ですね。

そしてラストのシーン。

 妻が恍惚の表情で花に顔をうずめるシーンです。今まで距離があった二人が、春の到来を共通の喜びとして分かち合います。

このシーンでこの話から距離をとり、客観的に見ていた自分が物語の中に引き込まれましたことに気付きました。その場にいる感覚。私も作品の一部になっているのだという自覚。暖かい気持ちの中で話は終わります。







小説は自分の感性で自由に楽しむものです。私が感じたことを言葉にすることで誰かが楽しめれば良いなと思い始めました。言葉が映し出す脳内のシネマを是非楽しんで下さい。励みになりますので右下のイイネのクリックをお願いします!




『春は馬車に乗って』 読了時間約15分









語彙の確認























































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