- くにい
『蜜柑』 芥川龍之介
更新日:2021年6月5日
私は陰鬱な(いんうつ:気持ちが晴ればれとしない様)気分を抱えたまま、横須賀発上り二等客車の隅に腰を下ろして、発車の笛を待っていた。
私の他に乗客はいなかったが、発車の笛が鳴ったとき、日和下駄(晴天の日にはく歯の低い下駄)をはいた十三、四歳くらいの少女(本文中では小娘とある)が慌ただしく中へ入ってきた。身なりも整っていなく不潔でとても不快だった。
隧道(ずいどうまたはすいどう:トンネルのこと)に入り、私は少女から意識をそらし、不快な気持ちを紛らわそうとしていたら、いつの間にかうつらうつらし始めた。
目をさまし周りを見渡すと、女の子が汽車の窓を開けようとしている。少女の様子を冷酷な眼で見ていたが、窓が開き、煤(すす)を溶かしたようなどす黒い空気が車内へ漲り(みなぎり)出した。私は息もつけないほどにせきこんだ。その直後、汽車は隧道(ずいどう)を抜け、土の匂いや枯葉の匂いや水の匂いが冷ややかに車内に流れ込んできた。

タイトル:愛しているなら愛していると言わないでくれ
「なんか今日は気持ちがブルーだよ。」
「みんなの前で間違えたから真っ赤な顔しているね。」
ブルーは陰鬱な感じを表したり、恐怖を表したりします。また、赤は羞恥や怒りを表す色ですね。このように人間の感情と色は連動することがあります。
『蜜柑』はまさにその力を効果的に使った作品だと思います。
「曇った冬の日暮れ」「うす暗いプラットフォーム」「少女の不潔な様子」「煤を溶したようなどす黒い空気」など、前半部では暗い色が思い浮かぶような表現をしています。ここから想像できることは、この男性は陰鬱な気持ちを抱えているということです。
しかし、少女の優しさに触れたシーンはどうでしょうか。蜜柑が空に舞い、鮮やかでさわやかなシーンが思い浮かびませんか。芥川の筆力とあなたの培ってきた想像力によって頭の中の映像が見事に作られました。小説を楽しむということは、頭の中の映画館で上映するということだと思っています。
また、悲しいときに悲しいと、楽しいときに楽しいと、愛しているなら愛していると直接的に表現をしない文を楽しめるのも小説の魅力です。
「学校の帰り道、一人で歩いた道はさみしかった。」よりも「学校の帰り道がいつもより長かった。」、「都会では感じられない良い空気がとても気持ちよかった。」よりも「緑の風が体を抜けていった。」の方が私は好きです。
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『蜜柑』 読了時間 約9分
